プログラマとしてソフトウェアを開発していると 想定の範囲内の利用方法ではあまり問題がないが、 データ量が増えてきたり、通信量が増大したり、メモリが足りなくなったり、 要するに負荷が予想以上に大きくなるととたんに正常に動作しないことがたびたびある。 そして、えてしてソフトウェア開発時の想定はいつも小さすぎて、 実運用の環境では簡単にその想定を突破してしまう。
そういう問題を事前に発見するために「ストレステスト」を行う。 人工的に負荷を高めて、問題を発見しようというわけだ。 事前にストレステストができるのは、開発プロジェクトに余裕がある証拠だ。 スケジュールがタイトだとまっさきに省略されてしまいがちなテストである。
人生においてもときどき厳しい状況があることがある。 これもストレステストのようなものではないか。 普段の想定の範囲内ではあまり問題がないが、 厳しい状況下では本性が現れることがたびたびある。
人生において、そう簡単に「人工的な負荷」を用意するわけにはいかないので、 聖書や歴史上の「他人の経験」から外挿することが必要になるかもしれない。 想像力が必要とされるが、本当に痛い思いをせずに自分の立ち位置を知ることができる 良い機会かもしれない。
聖書には「麦と毒麦」のたとえ話がある。
人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。
彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』
[マタイ 13:25-30より引用]
世の中には毒麦という植物があるのね、くらいのことしか考えたことはなかったのだが、 今週、このたとえ話を思い出す経験があった。
今年は畑にトウモロコシを植えたのだが、ある一角は植えたはずなのに全然芽を出さない。 不思議に思って妻に話すと、「あ、雑草と一緒に抜いたかも」だって。 確かにトウモロコシの芽は雑草と区別がつかない。
成長するまでは手出しをしてはいけない。
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