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Matzにっき


2007-07-22 [長年日記]

_ [教会] 遅刻・赦し

いろいろと思うように行かなくて、 教会の駐車場に入った時点で10時であった。 集会スタートが10時なので、厳密には遅刻である。

今日は司会のはずだったのに。

ビショップにお願いすることになってしまった。 ごめんなさい。

日曜学校は現代の教会について。 現代の教会の組織と運営の概要について。

神権会は「赦し」について。

昨年の秋に起きたアメリカのアーミッシュコミュニティで発生した殺人事件(少女10名が人質になり、結果的に5名死亡、5名重傷、犯人は自殺)において、 アーミッシュの人たちが、犯人も犯人の家族も許し、 葬儀に犯人の家族を招待し、 被害者のために集まった寄付金の一部を分け与えた、という話。

最近、悲惨な事件の犯人を「決して許さない」とする遺族の人が多い。 気持ちは理解できる(私も家族が殺されたら、そう感じないとは限らないし)。 日本の社会は、この「不寛容」を許容している(むしろマスコミとか後押ししてる) ように思える。

しかし、いくら怒っても、犯人が死刑になっても、被害者は帰ってこない。 クリスチャンは、このような事態にあって、「赦すこと」を勧めている。 一見、不自然なようだが、これこそが平安を招く態度だと思う。

私は赦す勇気を持つ人たちを尊敬する。

もちろん事件の再発は防ぐ努力が行われるべきであるが。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]
_ (2007-07-31 16:05)

日本には仇討ちを礼賛してきた歴史がありますからねぇ。個人的には、被害者に近しい人たちが「決して許さない」という勘定をあらわにするのは自然なことだと思います(むしろ変に寛容であることは理解し難く不気味に感じます)が、それに野次馬(メディアを含む)が便乗する風潮は危うい気がします。人間はえてして、正義を掲げた時にもっとも残酷な振る舞いをしますからね。

_ hoge (2007-08-01 07:35)

「赦す勇気」?なんで赦す事が勇気なんだ?<br>それは「勇気」ではなくて、自分が楽になりたいための「諦め」だろう。

_ まんた (2007-08-01 11:20)

これは犯人がもし生きていたらどうだったでしょうね。それでも赦すことができるのであればすごいことだなぁと思いますが。<br> 日本は「死んだ人」にはすごい寛容だと思います。天皇に反逆しようが、戦争犯罪人だろうが死ねば等しくホトケサマ扱いなんて他にはないでしょう。<br> また今、マスコミに取り上げられている事件などは犯人が生きて被害者や遺族の尊厳を踏みにじっているようにしか見えないので加害者を赦そうという流れにはならないでしょうね。加害者が真摯に反省した例もあるのかもしれませんが、なかなかそいうのが表にでてきません。

_ たま (2007-08-02 01:38)

クリスチャン的な「赦し」というのは、必ずしも水に流して忘れるということではなくて、自分の痛みや苦しみを癒す方向として、「復讐」ではなく「赦し」を志向するのだと理解しています。<br>仮に「復讐」が人間の自然な感情だとすれば、それを野放しにすることを戒めているのでしょう。

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