特に名を秘すが、某所で時々ある人の日記をチェックしている。 ソフトウェア開発の分野ではそれなりに名の知れた人だ。
しかし、この人の日記はどうにも心に響かない。 というか、なにを言っているのかよく分からないのだ。 なんとなく人工無脳が書いているエントリを読んでいるようだ。
技術的にそれなりに高度な(そして意味もある)ことが書いてあるのに、 そう感じるというのはどういうことだろうか。
「じゃあ、読むなよ」と言われそうだが、 恐いものみたさというか、なんというか。 たまに有益な内容もあるし。
わかりにくい方が高度なことが書いてある印象を与えるのだろうか。 「ソーカル事件」のこともあるし。
あるいは分野を限定して、十分に選別したテキストで学習させると、 それなりにそれなりな日記エントリを合成できるのだろうか。
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akonさんのblogかな?<br>いや、人工無能って程内容が無いとは思えませんが。
この場合の人口無能というたとえは、内容が無いという意味ではなく、無機質(気持ちだとか情動のようなものが感じられない)であるため、心に響かないという意味なのでは?
追及禁止(笑) > 「特に名を秘す」さん。<br><br>なんかねえ、内容がないわけでもないのに、人間的でないと言うか、なんというか。どうしてなんでしょう?
わかるなー。謎めき症候群<http://www.ogis-ri.co.jp/otc/hiroba/others/OORing/interview20.html>の人をみるともったいないなーと感じますよね。個人的なメモでも人に説明するように書いておくといいんですけどね。3カ月後の自分は他人ですから。
いま、日本各地で、たくさんの人が、びくびく、おどおど、しています。
日記って基本的に、人が読んでもわかりにくい個人的な感情を記すものでしょ。<br>赤裸々な感情を公衆の面前に晒すエチーな人の感情など、理解できなくても当然かと。(でもakonさんのblogはなんか波長が合うんだよな
おっしゃることはその通りで、そのことについて文句を言うつもりはないのです。が、この「日記」はどのエントリも人口無能風味がするんですよねえ。それは感情が理解できないのとは違うレベルだと感じます。<br><br>あ、ここで言ってるのはakonさんのblogじゃないです。念のため。
まるきりちがう話ですが 昨晩 本屋で「恋する プログラム Rubyでつくる人工無能」秋山智俊著 という本を買いました 図書券はいつのまにかなくしてしまうので 消化しようと 本屋に入りましたが 買いたい本が皆無; たった一冊あったRuby本でしたが 他の言語に比べて こういうタイトルの本がでるのは(とりあえず本屋書棚において) Rubyはすごい(笑) いつ読むかは全くわかりませんが;;
ヒューマンなユーモアがなくなってきたらいやだな てこと? 笑いは剣(想像力) というのがユダヤ人の通念?