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Matzにっき


2005年05月17日 [長年日記]

_ ブロードキャストフラグ敗退。コピーフリーになった米DTV

アメリカでは地上波デジタル放送が今後もコピーフリーでいくことになったという話。 日本でもそういう話にならないものか。

なぜ米国ではこんな経緯となったのか。裁判に関して思い当たるのは、原告団体や世論の性格や力が日本と違うことだ。

まず、この判決で目を引くのは原告団体の多さと強さだ。図書館関係の団体5つ、ネット上の市民権に関して非常に活動が活発なPublic Knowledge(以下PK)とElectronic Frontier Foundation(EFF)、やはり活発な消費者団体Consumer Federation of AmericaとConsumers Unionの合計9団体が原告団となっている。

日本にはPKやEFFほどの言論団体はないし、B-CASなどの問題について日本の主婦や公立図書館司書の団体が大きく動くこともない。動いたとしてもすぐに告訴にはいかないだろう。ところが米国では2003年11月のフラグルール発表後、2004年1月末にはもう上記9団体が一致団結で告訴だ。ファイティングスピリッツがまるで違う。

うーん、上から与えられる権利を承る日本と、権利を勝ち取るアメリカの違いということか。

一方、日本はと言うと、放送のコピーワンス化だけでなく、 録音補償金でも権利者ばかり優遇されている。

_ 私的録音・録画補償金制度では誰も幸せになれない

本当に権利者に還元されているかも検証されないまま、 補償金の範囲だけが拡大して行く。結局儲けるのは誰か。

ユーザーが実際にどういう用途に使うかに関与せず、「使うかもしれない」ことを前提に補償金がかけられるのは、あまりにも丼勘定が過ぎる。

補償金制度の運用開始よって、元々著作権法で保証されてきた「私的録音・録画は自由かつ無償」の原則が一部制限され、「自由かつ有償」になったわけである。

そもそも補償金制度のベースである「自由かつ有償」という約束が、すでに話が違ってきているのである。さらにそれを押して課金範囲を広げれば、消費者はあまりにも踏んだり蹴ったりではないか。

権利者団体がどうしても補償金制度にこだわりたいのであれば、払ってもいい。そのかわり、コンテンツの私的利用においては、黙ってコピーフリーにしてもらわなければ割が合わない。もしくはわれわれ消費者がDRMを受け入れる代わりに、補償金はなしだ。それがフェアなトレードオフというものである。

小寺さんの論はあまりにも真っ当だ。

元々音楽や映像といったコンテンツは生活必需品ではなく、嗜好品である。その消費にブレーキをかけるようなことが続けば、もう音楽聴くのやめちゃうよ、テレビ見るのやめちゃうよという選択肢が、消費者にはあり得るのだ。

少なくとも私は2011年以降テレビ見るのをやめようかと思っている。


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