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Matzにっき


2005年01月31日 [長年日記]

_ [特許]「本当にオープン?」、米Sunの特許無償提供に民間団体が異議

先日、懸念を表明したSunの特許開示だが、 PUBPATも異議を唱えているようだ。

PUBPATは、「Sun社の発表は関連の法律書類と比べてあまりに広範囲だった。Sun社の特許に対して一般(開発者)がどういった権利を持ちえるのかという疑問が残る」と指摘する。「Sun社があとになって特許侵害を追求することができてしまうのかどうか、オープンソース・ソフトウエアの開発者にはっきりと説明するべきだ」(PUBPAT)

PUBPATは意見書で、「どのライセンスを適用すれば安全にSun社の特許を利用できるのか」「Sun社は第三者が記述したソフトウエアに対して特許権の主張を放棄するのか」などの質問を挙げたほか、同社と米Microsoftとの関係が特許やオープンソース・コミュニティに与える影響についても懸念を示した。

PUBPATは開発者に対し、「Sun社の言葉に惑わされないように注意するべきだ。実際に許可される以上のことをSun社が与えてくれていると勘違いしてはならない」と忠告している。

まったくもってもっともだ。

「Matzにっき」はPUBPATを応援します。

_ [OSS] FSFは将来のGPLに対してフリーハンドか

うちのコメント欄でGPL3についての議論が続いている。が、あんまり熱が入り過ぎて、 結城さんにも「長くて読めない」と言われている

今回の議論で登場した危機の具体的な例というのは、私の知る範囲内では

  • FSFがGPL3をBSD様にしたら
  • FSFが「破産」し、資産(GNUソフトウェア)が第三者の所有となり、 フリーソフトウェアではなくなったら

くらいしか出ていないと思う(特許についても危険性がほのめかされていたが「具体的」とは思えなかった)。 これらは確かに具体的ではあるが、正直なところ、間違ってもこれを「現実的な例」とは呼べないと思う。 たとえStallmanがバスにはねられても、FSFがそんな「発狂」した行動を取るとは思えない。 まかり間違ってGNUソフトウェアが「誰かのもの」になったとしても ライセンスは過去に遡って変更できないから、フリーソフトウェアとしてのGNUソフトウェアがなくなることはない。また、フリーソフトウェアにとってあるソフトウェアが途中からフリーでなくなるというような 「攻撃」は過去頻繁に起きてきたたことだ(たとえば最近だとsourceforgeが思い出される)。 FSFがGNUソフトウェアの権利を保持することで、そのような危険性がほんの少し上がるとしても、 FSFが権利関係の調停で忙殺されるデメリットに比べたらゼロに等しい。要はバランスだ。 こんなことをいちいち心配するくらいなら、天から隕石が落ちてくることを心配する方がマシだ。

もうちょっと現実的な例が出てこない限り、 素人同士がいろいろ意見を突き合わせても、 世間に与えるインパクトはゼロに近く、 FSFになんらかの影響を与える可能性もほとんど期待できない。 「茶飲み話」以上の建設的な議論にはならないんじゃないだろうか。

ところで、先週末になってやっと思いついたのだが、 FSFは将来のGPLに対して本当にフリーハンドなのだろうか。

GPLの第9条にはこうある

9. The Free Software Foundation may publish revised and/or new versions of the General Public License from time to time. Such new versions will be similar in spirit to the present version, but may differ in detail to address new problems or concerns.

つまり、新しいGPLは現在のGPLに対して「similar in spirit」であると宣言されている。 であれば、FSFは新しいGPLを「GPLの精神の合致したもの」とする (たとえば単純なBSDライセンスにするような類の変更を行うことはしない)、 と約束していると考えてもよいのではないか。

その結果、将来のGPLがライセンサ(ソフトウェア権利保持者)の視点から、 「現在のGPLの精神と類似でない」と感じられたら、 「それはlater versionとは見なさない」と(後から)宣言できるような気がする。 権利がFSFに移行しているGNUソフトウェアの場合と違って、 単にGPLを適用しただけのソフトウェアの場合には、 FSFは様式を定義しただけの第三者なので、強制力は持たないはずだ。

「契約としてはいいかげん」というのは認めるけど、 「双方誠意をもって対応する」なんて平気で書いちゃう契約も結構見かけるし、なにより、 少なくとも日本の法律ではGPLはまだ「契約か、権利の不行使宣言か」すら弁護士でも判断できないレベルのはずだし。

より明確にするならば、「any later version, unless the author refuses explicitly」とでも書くか。 特にお薦めはしないけど。


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